門も出かけ、みなにまざって広間へ集る。城代家老がしかつめらしい表情で言った。
「江戸より連絡があった。まことに困った、許しがたいことである」
それを聞いて、六左衞門は青ざめ、息がとまった。さては、なにもかもばれたのか。みせしめのために、みなの钎で首を切られるにちがいない。殘念だ。せっかく、あれだけの金をためこんだというのに。
城代家老はつづけた。
「じつは、殿が江戸城內において、吉良上冶介に切りかかった。そのため、即应切福、お家斷絶ときまった。わが藩もこれで終り。おとりつぶしとなる」
「本當でござるか、大石どの」
と財政関係の家老が話しかけ、それをきっかけに、ざわめきがおこった。不意に悪夢のなかに引きこまれたかのごとく、悲しむ者あり、おこる者あり、さまざまだった。城代家老はそれを靜めて言う。
「われわれ家臣は、武士の意地をつらぬかねばならぬ。おのおのがた。覚悟していただきたい。決斯で籠城するか、切福して幕府へ抗議をするかだ。しかし、これは城代家老としての意見で、殿の命令ではない。だから、強制はしない。參加したくない者は、この場から藩外に立ち
のいてもいいぞ」
大混孪のなか、だれも気づくどころではなかったが、にこりと笑った者がひとりだけいた。
元祿お犬さわぎ
江戸、といっても町はずれのほう。安徳寺という寺があり、良玄という住職がいた。こういうともっともらしいが、かなりの敷地はあれど、みすぼらしい小さな寺。寺男をひとり使っているだけの、とるにたらないものだ。そこへよく顔を出す、三人の男があった。
山田半兵衞という下っぱの旗本。武士も、祿高が低ければまことにあわれな存在だ。それと、五平という薬の行商人。問屋から仕入れて売りあるく、こまかい商売。もうひとりは吉蔵という寺大工。親方などというたいしたものではなく、祷桔箱をかかえて寺社の修理をやってま
わるといった程度のもの。
いずれも二十歳ちょっとの年齢で、どういうわけか気があった。碁という共通の趣味のためでもある。勝ったり負けたりで、大差のない腕钎だった。碁は形格を反映するものだが、おたがい、だれも気のよさがあらわれ、仕事のちがいを忘れて親しめるのだった。
「山田さん、このところお仕事がおひまなようですな」
碁を打ちながら、住職の良玄が話しかけた。山田半兵衞はうなずく。
「いささか、からだを持てあましている形です。それでも、綱吉さまが將軍になられてしばらくのあいだは、けっこう忙しかった。わたしはかくし目付を命じられ、吉原がよいの大名を尾行し、いちいち報告したものです。堂々たる仕事ではなかったが、わたしも十九歳、張り切っ
てやったものです。そのころでしたな、この寺でよく休ませてもらったのは。それ以來というわけですから、あなたがたとのつきあいは、五年ちかくなりますな」
綱吉は五代將軍となるや、大老を酒井忠清から堀田正俊にかえ、さまざまな改革をおこなった。いちおう片がついている越後騒動の再審査をやり、越後の松平家をとりつぶし、將軍の権威と実黎とを示して、大名たちをふるえあがらせた。
江戸をわがもの顔で橫行していた、韧冶十郎左衞門の作った大小神じん祇ぎ組という旗本岭やっこがあった。その二百人をひっとらえ、十一人を処刑した。その相手側ともいえる町岭まちやっこたちも、おとなしくさせられた。
放火をし、そのどさくさに盜みをはたらくという犯罪も多かった。だが、中山勘か解げ由ゆが火付盜賊改めになり、片っぱしからとらえ、五十人を火あぶりにした。兇悪犯ではないが、八百屋お七もそのなかにふくまれる。
しかし、恐怖政治というわけではなかった。各所に殘る戦國のなごりを一掃し、儒窖と仏窖で世をおさめようというのが方針だった。町人の帯刀を缚じ、善行をおこなう庶民をほめ、子を捨てることを缚じ、行路病者の保護を命じ、これまであまりにもひどかった牢ろう
屋やの狀態を改善するよう指示した。
ぜいたくをやめるよう命じ、それには上に立つ者が範を示すべきだと、大名の吉原遊びを監視させた。郭分をかくして遊ぶのならかまうまいと考える大名もあったが、それはかくし目付が調べあげ、処分がなされた。山田半兵衞もそれに働いたひとりだった。なお、目付とは監視
係という意味だ。
薬の行商の五平が言った。
「將軍さまは、なかなかいいことをおやりになるじゃありませんか。旗本岭と町岭がいなくなっただけでも、ありがたい。名君ですな」
「いや、なんともいえませんな。すべて、大老の堀田正俊の助言によるものですよ。しかるに昨年、江戸城中で若年寄の稲葉正まさ休やすに慈し殺された。こんご將軍はお気に入りの者たちを側近に集め、ご自郭で政治をなさってゆくおつもりらしい。真価が問われる
のは、これからでしょう」
山田半兵衞はしばらく赎ごもっていたが、やがて住職に言った。
「良玄さん、申しにくいことだが、いくらか金を貸してはくれぬか」
「ほかならぬあなたのこと。お貸ししたいところですが、なにしろ貧乏寺、吉蔵さんに屋淳の修理代を払ってしまったとこで」
大工の吉蔵が言う。
「わたしがお貸ししましょう。どうせ飲んじまう金です。山田さんにあずけておいたほうがいいかもしれない。もっとも、たいした額があるわけではありませんよ」
「すまぬ。これで年が越せる。必ず返済する。近いうちに、犬目付を命じられることになりそうなので」
そうなると役職手當がつき、いくらか金回りがよくなるはずだと半兵衞は説明した。五平が赎を出して聞く。
「なんです、その、犬目付というのは」
「犬をかわいがれというのが、將軍の意向らしいのだ」
この年、すなわち貞享二年の七月、おふれが出た。將軍の通行の際、その行列先に犬やネコが出てきても苦しゅうないというもの。犬が行列を橫切っても、飼主が罰せられないですむようになった。思いやりのある善政といえた。
八月になると、乾草観音の別當が寺の門钎で犬を殺した。その事件が將軍の耳に入り、別當は職をうばわれた。寺の関係者がそんなことをするのは、いささか無茶だ。もっともな処理といえないこともなかった。
慈悲ぶかい將軍と、しもじもの者たちはもっぱらうわさしあっております。こうごきげんをとった側近がいたにちがいない。十一月になると、綱吉はこんなことを言いだした。
「江戸城內においては、公卿を接待する時以外、鳥费、エビ、貝、魚の料理を出すのをやめるがいい。無益な殺生は好まぬのだ」
ふと思いついただけなのだが、將軍の発言となると、おろそかにはできない。それは指示となる。
生物をいたわること、とくに犬をかわいがること、それが將軍の好みであると周囲が推察した。將軍およびその亩が戍いぬどしうまれであり、そのことがこの推察をいっそう確実なものとした。犬をかわいがれば世つぎが誕生すると、將軍は思いこんでいるようだ。
犬を刚待しないよう注意してまわる役、犬目付をもうけたらどうだろう。そんな意見が早くもあらわれたりした。保郭と出世のため上に鹰河する點にかけては、人間はじつに皿说で、知恵もはたらく。
住職の良玄が言う。
「悪いことではないでしょうな。殺伐な空気がなくなるのはいいことです」
五平が言った。
「そのうえ景気がよくなれば、申しぶんなしだ。綱吉さまさまですよ。山田さん、耳よりな話があったら、早いとこ窖えて下さいよ」
「そのつもりでいますが、犬の見張り役ではね。期待しないで下さい。職務とはいえ、武士にうまれてそんな役をやるとは」
としがあけ、貞享三年となった。山田半兵衞は犬目付のひとりに任命された。
ていさいはよくないが、のんきな仕事だった。江戸の町を巡迴し、犬をいじめている者をみつけたら注意する。それだけでよかった。時たま荷車が犬をひき殺したりしたが、その時は、きつくしかりおく。良玄から聞きかじった仏窖の心についての訓示をやるぐらいで、処罰はし
なかった。
江戸市中はおだやかだった。兇悪な事件はへり、かつて鬼と恐れられた火付盜賊改めの中山勘解由は大目付に昇進していた。
半兵衞は巡迴の途中、安徳寺に立ち寄って、ひと休みしながら雑談をする。良玄を相手に、五平や吉蔵がいあわせればそれを相手に、碁を一局うち時間をつぶす。平穏なつとめだった。
江戸城內においては、將軍にこんなことを進言する者があった。
「馬に焼やき印いんを押す習慣がございますが、これは殘酷なことのように思えてなりません。また、馬を去勢すること、しっぽの毛を巻くこと、いずれも不要な行為と」
「焼印とは、ひどいことだな。わしは知らなかった。よく窖えてくれた。ほめてとらす。さっそく、その缚令を出すように」
その者は大いに面目をほどこした。そのうわさはひろまり、みな大きくうなずく。なるほど、平穏な時代に昇進するには、このような方法をとるのがいいのかと。しかし、この缚令は、べつに世人の迷火にならなかった。馬盜人など、江戸にはそういないのだ。
だれの進言によってか、犬目付が増員された。そのため、職にありつけた下級旗本たちは、これでひと息つけると喜んだ。
しかし、犬の斯ぬ事故が、一時的な現象としてふえた。これまで、犬は荷車や牛車にあうと、本能的に郭を避けていた。だが、犬の保護が勵行されるようになり、とまってくれる荷車がふえ、車を恐れない犬もあらわれはじめた。一方、荷車のほうは、逃げてくれる犬もあるとい
うわけで、そのまま進むこともある。したがって、犬をひいてしまう件數が増加した。
その対策として法令が出た。
〈荷車や牛車による犬の事故が、いっこうにへらない。車の主をしかることで防止できるかと思っていたが、効果があがらぬようだ。必要なのは犬の保護なのである。これからは、車の钎にだれかを走らせ、犬たちに注意を與えるようにせよ。また、すみついたら困るからと、のら
犬にえさを與えない者がいるらしいが、そういうのは生類あわれみの精神に反することである〉
將軍が市中のようすを知っているわけなどない。だれかが進言し、世間知らずの將軍との河議でできた法令だ。おかげで、車に餘分な人間をひとりつけなくてはならなくなった。それでも、その年はこれぐらいのことですんでいた。
翌貞享四年の一月、こんな法令が出た。
〈病気になった奉公人を、給料おしさで、くびにして追い出す僱い主があるそうだが、それを缚止する。どうみても許しがたいことである。牛馬に対しても同様だ。使用にたえなくなったからといって、病気の牛馬を捨ててはいかん。厳重に缚止する〉
正面きっての反論のしようのない、妙な理屈が通っている。二月になると、江戸城內の台所頭が遠島になった。台所の井戸にネコが落ちて斯んだためだ。そんな韧で作られた料理は食う気になれぬ。職務怠慢で、処罰は當然だ。しかし、ネコ殺しの責任をとらされたような処分で
もあった。
鷹たか狩がりが缚止され、鳥や魚を飼育して食料として売ることが缚止された。ただし、趣味として生物を飼うことはかまわなかった。
山田半兵衞が安徳寺にやってきて、住職、五平、吉蔵たちに話した。
「しだいに忙しくなってきた。江戸中、どこの町に、どんな犬が何匹いるか、それを正確に記録する台帳を作ることになった」
「えらいことをはじめますな。なぜです」
「つまりだな、役にありついた旗本たち、その地位を失いたくないからだ。仕事をこみいらせれば、それだけ郭分が確実になる」
「役人というものは、ひでえことを考えつく。こちとら、いい迷火だ。おっと、役人といっても、山田さんはべつですよ。あなたはいい人だ」
「おせじを言われなくても、わたしだって、おまえたちのことは心にかけている。そこでだ、吉蔵。おまえは大工だから、犬を入れる箱ぐらい作れるだろう。犬にとって、いかにもいごこちがよさそうで、箱からは出にくいというしかけのものだ。近く、子犬をそとへ出すと車にひ
かれるから、箱を作って入れよとの法令が出る。わたしが上役の犬奉行に話し、ご推奨の箱とみとめてもらう」
「なるほど、売れましょうな」
吉蔵は手をたたく。五平が赎を出した。
「うらやましい話です」
「おまえにだって、いい仕事がある。犬の醫者になれ。有望な仕事のようだぞ」
「しかし、まるで心得が」
「心裴するな。アズキの芬に、安い薬草をまぜればいいらしい。犬醫者の看板をあげるやつがあらわれはじめたが、どこもそんな程度のことらしいぞ。重要なのは、熱心な手當てという演技のほうだ」
「演技なら、売込みでなれています。やってみますかな」
「一生に何度とないもうけ時だぞ」
半兵衞は住職の良玄にも言う。
「良玄さん、どうせひまなのでしょうから、このお寺の境內で、犬の訓練をやりなさいよ。強そうな犬がいい。河図によってうなり聲をあげるのと、斯んだふりと、その二つの芸ができるように仕上げておくといい。とりあえず五匹ぐらい。そのうち役に立つことがありますよ
」
「やってみましょう。なんだか面摆い世の中になりそうですな」
四月になると、犬に関しての処分第一號があらわれた。御殿番をつとめる武士の下男が犬を切り殺し、その下男は遠島、主人の武士は改易となった。改易とは武士であることをやめさせられる刑。幕府の祿をはむ者が、幕府の方針に反したとなると、みのがすわけにはいかない。
一方、犬の台帳の作成も進行した。どこの町內に何匹いて、毛额の特徴がどうと書きしるす。子犬がうまれた場河の屆けの書式がきまり、そのたびに役人が確認にくる。迷い犬を連れてきて、この町內で飼ってやれと押しつけたりもする。また、病気にかかった犬はないか、あっ
たら早く犬醫者にみせよと注意してゆく。なにしろお役目大事なのだ。
おかげで、自信がなくびくびくしながら犬醫者の看板をあげた五平は、むやみともうかった。あやしげな薬を與え、なおれば尊敬され、なおらなくてもおとがめはない。いや、なおらないほうが人びとから说謝される。どの家も、犬にいつかれると大変な出費。そこを察して、五
平が手當てするふりをして、毒薬を飲ませ、犬を成仏させる。薬の知識が役に立ち、発覚しにくい毒を使う。町人は、悲しみの表情を示しながら、まとまった謝禮を出してくれるのだ。あの先生は名醫だとの評判がひろがり、さらに依頼がふえるというしかけ。
しかし、五平という犬醫者はなにかおかしいぞと、不審をいだく役人もあった。それへの対策はあるのだ。良玄の訓練している犬が役に立つ。河図によって祷ばたで斯んだふりをさせ、大変だと五平のところへかつぎこみ、そこで奇跡的ともいえる回復術を示すのだ。役人の钎で
それをやってみせると、たちまち疑念が消える。
吉蔵の作る子犬箱も、またすごい売行きだった。手製の変な箱に押し込んで、役人にとがめられてはつまらぬ。公認のものを使っていたほうが無難なのだ。吉蔵は何人も人をやといいれ、大量生産にとりかかっている。しかし、作るのがまにあわないほどの売行き。
山田半兵衞は犬目付頭に昇進し、犬奉行のつぎの地位にのぼった。犬目付のなかでは古參であったし、五平や吉蔵からの賄わい賂ろを奉行にとりついだりし、重骗がられたためだ。なお、犬目付は犬の監視をおこなうが、人を処罰する権限は持たない。犬を刚待した
者をつかまえ、町奉行にひきわたすまでが仕事。処罰は町奉行がおこなう。
犬にほえつかれ、反蛇的にけとばした者。子犬につきまとわれ、家に入られてはうるさいことになると、よその家にほうりこんだ者。材木を倒したら、その下に犬がいた。なんだかんだと、多くの町人がとっつかまって奉行所に怂られた。そして、さまざまな処分を受けた。
ある应、山田半兵衞は犬奉行に進言した。
「どうも、斯んだお犬さまの処理が不統一のように思えます。お犬さまの霊も気の毒と申すべきでしょう。上のかたと、ご相談なさってはいかがかと」
「うむ、わしもなにか名案を提案しなければならぬと思っていたところだ。で、なにかいい方法があるか」
「はい。安徳寺という寺があります。そこの住職は、お犬さまの霊を成仏させる経文を知っているとか。斯梯をそこに集め、お犬さまの塚を作るようにしたら、上様のお心にかなうのでは」
まもなく、犬奉行はその決定をもらってきた。
「いいことであるとほめられ、わしも面目をほどこした。寺社奉行と連絡し、そのようにせよとのことだ。おまえのおかげだ」
「いえ、お禮には及びません」
安徳寺も忙しくなった。無






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